大阪地方裁判所 平成11年(ワ)4987号 判決 1999年9月07日
原告
東大阪市
右代表者市長
長尾淳三
右訴訟代理人弁護士
石川元也
同
岩田研二郎
同
岡慎一
被告
甲野一郎
右訴訟代理人弁護士
田中森一
同
提中良則
主文
一 被告は原告に対し六〇一九万四七〇〇円およびこれに対する平成一一年三月二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 訴訟費用は被告の負担とする。
三 この判決は仮執行をすることができる。
事実及び理由
第一 請求
主文と同じ。
第二 事案の概要
原告の市長であった被告が、退職後、在職中の行為に係る刑事事件に関し禁錮以上の刑に処せられたので、原告は、条例に基づき、支給した退職手当の返納を被告に対し命じたが、返納しないので、不当利得としてその返還および弁済期の翌日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを原告は被告に対し求める。
一 争いのない事実
1 原告は平成九年一二月二四日、被告が原告の市長として在職した平成元年一二月二四日(就任日)から平成九年一二月二三日(退任日)までの勤続八年間についての退職手当として六〇一九万四七〇〇円(支給額七七二八万円から所得税と住民税を差し引いた額)を被告に支給した。
2 原告の「東大阪市職員退職手当条例(昭和四二年二月一日東大阪市条例第三〇号)」(以下「職員退職手当条例」という)二一条一項は、退職した者に対し退職手当の支給をした後において「その者が在職期間中の行為に係る刑事事件に関し禁錮以上の刑に処せられたとき」は支給した退職手当全額を返納させることができると規定している。
原告の「市長、助役及び収入役の退職手当に関する条例(平成七年一二月二七日東大阪市条例第三二号)」(以下「市長等退職手当条例」という)二条は「市長、助役又は収入役が退職した場合」は「その者(死亡による退職の場合は、その遺族)に対して退職手当を支給する」と、四条は「この条例に定めるもののほか、第二条に定める遺族の範囲及び順位その他退職手当の支給に関し必要な事項は、東大阪市職員退職手当条例(昭和四二年東大阪市条例第三〇号)の適用を受ける職員の例による」と規定している。
3 被告は平成一〇年一二月一八日、原告の市長に在職していた期間内の行為に関し大阪地方裁判所において電磁的公正証書原本不実記録、同供用、健康保険法違反、厚生年金法違反、詐欺被告事件について懲役二年六月、執行猶予四年の有罪判決を受け、この判決は平成一一年一月五日に確定した。
4 東大阪市長は平成一一年二月九日、職員退職手当条例二一条一項に基づき被告に対し同年三月一日を納期限として支給済みの退職手当六〇一九万四七〇〇円の返納を命ずる処分をしこれを被告に告知した。
5 被告は平成一一年六月二九日(本件口頭弁論終結の日)にいたるまで右退職手当返納命令についての異議申立ても取消しの訴えの提起もしていない。
二 争点
職員退職手当条例二一条一項が規定する禁錮以上の刑に処せられた者についての退職手当返納の制度は市長にも適用されるか。
第三 争点に対する判断
一 市長の退職手当に関する原告の条例の改正の経緯(甲四、五、七、八)
1 平成七年一二月まで
原告の職員の退職手当については、市長等の特別職の職員も含め、昭和四二年に制定された職員退職手当条例(以下「改正前職員退職手当条例」という)がその支給に関する事項を定めていた。ただし特別職の職員については、必要と認める場合には右条例の規定による退職手当の額以上に退職手当を増額して支給することができるものとし、その額は市議会の議決を経て定めることとなっていた(改正前職員退職手当条例一二条二項)。
また同条例一九条の二第一項は現在の職員退職手当条例二一条一項と同じ退職手当返納の制度を定めていた。
2 平成七年一二月以降
平成七年一二月、職員退職手当条例が改正された。この改正は、市長、助役および収入役の退職手当の額および支給方法についての定めを一般職の職員とは別に明瞭な基準により規定することに主眼があった。具体的には、①市長等退職手当条例が新たに制定され、市長等三役の退職手当についてはこれによることとし(同条例一条)、②市長等三役の退職手当は任期ごとに支給ししかも一般職の職員とは異なる一定の基準で退職手当の額を計算することとなった(同条例三条)。①の点を明確にするため、職員退職手当条例に、市長等三役には同条例を適用しないとする二条二項が加えられ、②の点に対応し、議会の議決による退職手当の増額を定めていた改正前職員退職手当条例一二条二項は削除された。
一方、争いのない事実2に記載したとおり、市長等退職手当条例四条は「この条例に定めるもののほか、……退職手当の支給に関し必要な事項は」職員退職手当条例「の適用を受ける職員の例による」と規定した。
二 市長等退職手当条例四条の解釈職員退職手当条例二条二項により、同条例は市長には適用にならない。一方、市長等退職手当条例四条は、市長の退職手当の「支給に関し必要な事項」は職員退職手当条例の適用を受ける職員の「例による」としている。「例による」という用語は、ある法律上の制度や法令の規定を包括的に他の同種のことがらにあてはめるときに用いられるのが通例である。したがってこれらの規定によれば、市長の退職手当の「支給に関し必要な事項」であって市長等退職手当条例に定めのない事項については、職員退職手当条例やその下位規範の個々の規定が包括的に準用されることになる。
右によれば、退職手当返納の制度は退職手当の支給に関するものであるが市長等退職手当条例に定めがないから、職員退職手当条例二一条一項が準用され、結局市長に対しても適用されることになる。
以上の解釈は市長の退職手当に関する条例の改正の経緯によっても裏づけられる。平成七年一二月までは、職員退職手当条例が市長にも適用されており、かつ同条例一九条の二第一項は退職手当返納の制度を定めていたから、同制度は市長にも適用されたことが明らかである。平成七年一二月の同条例の改正および市長等退職手当条例の制定により、市長等三役の退職手当に関する定めが別個にもうけられたが、それは市長等三役について一般職の職員とは異なった一定の明瞭な基準で退職手当の額と支給方法を定めることに主眼があり、それ以外の事項については市長等退職手当条例四条により、職員退職手当条例が適用される職員の例によるとされたのである。退職手当返納の制度は在職中の行為により有罪判決を受けた者の退職手当の返納に関して客観的な基準を定めたものであって右の条例改正によって影響を受けるいわれがない。仮に市長等三役にはそれまで適用のあった退職手当返納の制度を適用しないことにするのだとすれば、条例改正により市長等三役に対し不当な恩恵を与えたことになり、右条例改正の趣旨に反することになる。よって、市長等退職手当条例四条により、職員退職手当条例二一条一項の規定する退職手当返納の制度が市長にも適用になると解釈しなければならない。
被告は、市長等退職手当条例四条は退職手当の「支給」に関し必要な事項についてのみ言及しているのであって返納に関する制度は同条の範囲外であると解釈すべきだと主張するが、「支給に関し必要な事項」という文言をそのように狭く解釈するのはあまりにも不自然であって採用できないし、条例改正の経緯に照らしてもそのような解釈は無理である。
よって職員退職手当条例二一条一項が規定する禁錮以上の刑に処せられた者についての退職手当返納の制度は市長にも適用される。
なお、被告は同人の在職期間が市長等退職手当条例制定の前後にわたることから、同条例適用の基準となる平成七年三月二九日よりも前の在職期間に対応した被告の退職手当については同条例は適用にならないと主張するので最後にこの点についても検討しておく。
市長等退職手当条例附則二項は「この条例は、平成七年三月二九日(以下「適用日」という。)以後における市長、助役又は収入役の退職に係る退職手当について適用し、同日前の退職に係る退職手当については、なお従前の例による」と規定する(甲五)。この規定によれば、平成七年三月二九日以後に退職した被告に同条例が適用されるのは明らかである。また、同条例二、三条および附則三ないし五項によれば、市長の退職手当は市長が退職した場合に退職の日における給料の月額を基準として計算された額が支給される。退職手当請求権は退職時に成立するのであり、在職期間に応じて時々刻々と発生していくものではないから、被告の主張は前提からして誤っている。さらにいえば、仮に被告の主張が正しく、市長等退職手当条例適用日より前の在職期間に対応する退職手当については被告に同条例が適用されないとすれば、被告には代わりに改正前職員退職手当条例が適用されることになり、同条例一九条の二第一項の定める退職手当返納の制度も当然適用される。いずれにしても被告には退職手当返納の制度が適用されるのであって、被告の主張は理由がない。
三 結論
被告には職員退職手当条例二一条一項の定める退職手当返納の制度が適用されるから、被告に対する退職手当返納命令は正当であり、被告が支給を受けた退職手当はこれにより全額法律上の原因のない利得となった。被告はこれを原告に返還する義務を負う。
(裁判官倉地康弘)